兵庫県の城下町
「赤 穂」
□ 赤穂城
赤穂城は、今から500年ほど前に西播磨の豪族であった岡豊前守
光広が、今の城跡より北の方に「加里屋古城」を作ったのが始まりとさ
れています。16世紀に現在の城跡付近に移り、古城の有った場所は
城下町となりました。
関ヶ原の戦いの後、池田氏が姫路城に入り、播磨の国一国を治め
た時に、池田氏の代官垂水半左衛門により、現在の本丸跡あたりに、
本丸だけの城が築かれました。
1645年に、池田氏に代わって、常陸国笠間(茨城県)から53,500
石の大名として淺野長直が築いたもので、「加里屋城」とも呼ばれてい
た。設計と監督は、甲州流軍学者の近藤三郎左衛門正純がおこないま
した。
現在の赤穂城は、浅野氏が築城したものですが、淺野家断絶後、永
井氏、森氏をへて明治4年(1871)に廃藩置県の後、ほとんどの建物が
とりこわされ、多くの堀も埋め立てられました。
現在は、残された城壁と遺跡調査、復元された遺跡などから、当時
の赤穂城を偲ぶことができます。
写真は「大手門」・「隅櫓」
□ 大石邸長屋門
大手門をくぐり、道なりに大石神社の方角へ歩くと右手に大石邸長屋
門があります。淺野赤穂藩の家老大石家三代の屋敷の長屋門で、屋敷
は間口28間(約50.5m)、奥行45間5尺(約83m)、畳数にして308畳の
広い屋敷でしたが、享保14年(1729年)火災で建物の大半が消失し、
現在長屋門だけが残っています。
元禄14年3月、淺野内匠頭が江戸城での刃傷の知らせを持った早
水・萱野がたたいたのもこの門です。
写真は「大石邸長屋門」
□ 花岳寺 「台雲山 花岳寺」
花岳寺は、赤穂の商店街の一角にひっそりたっています。
赤穂藩主淺野家、永井家、森家歴代藩主の菩提寺、並びに大石家
ほか赤穂義士の家族の墓などがあります。
台雲山花岳寺は、正保2年(1645)、淺野長直候が笠間藩(茨城県
) から赤穂藩へ領地替えになったとき、淺野家の菩提所として建立しま
した。
境内には、赤穂義士の墓を始め宝物館があり、赤穂義士連判状や
書状、書画、関係書類、刀剣など赤穂義士関係の遺物が数多く保存、
展示されています。
墓所には、淺野、森歴代藩主はもちろん、淺野内匠頭、大石内蔵助
ら四七士の墓があります。墓所の中央に淺野内匠頭、右に大石内蔵助
、左に大石主税の墓が建ち、これをコの字形に囲んで義士の墓碑があ
る。義士三七回忌(1739)に、慕義の士が集い建てtました。義士の遺
髪が埋められていると伝えられています。
花岳寺の門は、明治6年(1873)に城下町の西の入り口、塩屋の惣
門を移築したものといわれており、赤穂市の文化財に指定されています。
花岳寺では、毎年12月14日の義士祭、2月4日の義士切腹の日、
3月15日の浅野内匠頭候命日には法要が行われています。
赤穂義士の墓前には生花と、お線香が常に手向けられており、改め
て赤穂義士の人気が偲ばれます。
花岳寺の境内には、義士木像館があります。正面には大石家守り
本尊・千手観音像と浅野内匠頭長矩候の遺牌を祀り、右側に23人(討
ち入り・大石内蔵助と表門組)の木像、左側には24人(討ち入り・大石
主税と裏門組)の木像と萱野三平の木像が安置されています。
木像はいずれも義士33回忌(1735)から作り始められ100回忌
に完成しました。京の名工の作とされています。
花岳寺境内の大石家先祖の墓には、正面右から、大石内蔵助の祖
父(良欽)、祖母(鳥居)、父(良昭)、大石内蔵助の妾腹の娘、左側は、
大石瀬左ヱ衛門の父(信澄)の墓。
右側の石灯籠は大石内蔵助の寄進。
写真「花岳寺 山門」 「義士木像」 「大石家先祖の墓」
□ 大石神社
大石神社は、大石内蔵助良雄と藤井又左衛門の屋敷跡を中心とし
て大正元年(1912)に建てられました。
参道には左右に赤穂義士四十七士の石像が並んでいます。
大石神社は、大石内蔵助をはじめとする四十七士と萱野三平・赤穂
城主浅野家三代と森家の先祖七代の武将を祀っています。
大石神社の境内にある義士宝物殿には義士ゆかりの武具、書画な
どが数多く保存されています。
大石神社の神門と宝物殿は神戸湊川神社から移築したものです。
大石神社境内の義士木像奉安殿は、昭和28年義士切腹から萬
250年の大祭記念に設立され、浅野内匠頭長矩は故平櫛田中氏が、
大石内蔵助良雄は故山崎朝雲氏ら当時第一流の彫刻家49人によっ
て製作されました。
そのほか大石神社には、大石邸長屋門と庭園があり、また赤穂城
の明け渡しの時大石親子が最後に通った、清水門跡も残っています。
写真 「大石神社 参道」 「参道 四十七士石像」
□ 赤穂市オフィシャルホームページへ