杉原紙の歴史
西暦105年頃、中国でカジノキの皮を原料に紙が漉かれるようになりました。日本には4〜7世紀頃に渡来人によって、紙を漉く技術がもたらされました。
渡来人がもたらした物には、絹織もの、鍛冶の技術や焼き物と仏教が伝来しました。
紙は、初めの頃木の皮を原料に作られました。
1.原料の木の皮を蒸して皮をはぐ。
2.黒い皮を削り取り、灰汁で煮る。
3.良く煮たら、流れる川に晒し、ゴミを取る。
4.晒した繊維を短く切り、よくたたく。
5.細かくなった繊維を水槽に入れ、良く混ぜる。
6.木の枠ですのこを挟み、繊維をすくう。(ためすき)
7.軽く揺すって均一にして、水分の落ちるのを待つ。
8.木枠から外し、漉いた紙を重ね一晩おく。
9.天日で乾かす。
中央の(奈良朝廷時代)役人が各地方の国府に紙の作り方を広めにいきました。兵庫県(播磨の国)の国府は御着にありましたが、紙はきれいな水と「こうぞ」が豊かな、杉原川の上流の杉原谷あたりで作られるようになりました。
その後、杉原谷では新しい方法で紙を漉く事を考案致しました。
1.原料のこうぞを程良い長さに切りそろえる。
2.蒸して、皮をはいで日に干します。
3.干した皮を川でふやかし、外側の黒い皮を削り取る。
4.白くなった皮を日に干します。
5.白い皮を水でふやかし、灰汁で煮て、繊維だけにする。
6.繊維を流れる水にひたし、ゴミを良く取ります。
7.白く晒された繊維を、棒で良くたたきつぶします。
8.ノリウツギ、トロロアオイなどから「ネリ」を作ります。
9.細かくなった繊維を水槽に入れ、「ネリ」を入れます。
10.均一になるように良くかき混ぜます。
11.木の枠ですのこを挟み、繊維をすくう。
12.良く前後に揺すって均一にします。(流しすき)
13.木枠から外し、漉いた紙を重ね一晩おく。
14.天日で乾かす。
「ネリ」を入れる新製法により「杉原紙」は、繊維が長く繊維の偏りが少なく、薄手の紙が漉けるようになりました。
平安、鎌倉、室町時代と朝廷や貴族に重宝された「杉原紙」は、江戸時代に黄金期を迎えます。江戸時代は紙の使用量が増え、「杉原紙」は人気が高かったので、杉原谷以外でも杉原紙が作られるようになりました。
特に、江戸時代では浮世絵、木版印刷の普及により、薄くて丈夫な「杉原紙」は重宝されました。
しかし江戸時代の末期には、幕府の政策変更に伴い原材料の「こうぞ」が不足し、明治時代には手漉きの「こうぞ」を原料とする「杉原紙」を漉く人がひとりもいなくなりました。
1937年から1940年にかけ、英文学者・書誌学者の寿岳文章先生が、全国の紙漉き村へ調査に出かけました。
この調査の結果は、のちに一冊の本「紙漉村旅日記」に纏められました。
1940年8月2日言語学者の新村 出先生と寿岳文章先生が杉原谷で「杉原紙」で生まれたかの調査をされ、京都に戻った寿岳先生は、この調査をもとに「杉原紙源流考」で数々の資料を紹介致しました。これで杉原谷が「杉原紙」の発祥の地であることが明らかになりました。
1966年杉原谷小学校に、新村先生と寿岳先生の手による「杉原紙発祥の地」記念碑が建てられました。
1970年宇高弥之助さんにより「杉原紙」が復元され、1972年に杉原紙研究所が開かれました。
1983年には、兵庫県重要無形文化財に指定されました。
1994年には、「こうぞの一戸一株運動」がはじまり、「杉原紙」の原材料の自給が出来るようになりました。
2000年には、寿岳文章先生の蔵書200冊余りと杉原谷の郷土歴史研究家の藤田貞夫さん(杉原紙についての著者)の蔵書と「杉原紙」の常設展示館「加美町和紙博物館」と「寿岳文庫」が出来ました。
紙漉村は全国に多数ありますが、「杉原紙」の様に一度紙漉が途絶えて復元されたケースはほとんどありません。
道の駅「かみ」には、「杉原紙」の製品が多数揃えられておりますので、一度寄ってみてはいかがですか。
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